福知山線脱線事故から21年|元運転士が語る「本当の原因」と現場の本音

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福知山線脱線事故を元運転士が解説

福知山線脱線事故から21年が経ちました。

運転士をやっていた人間なら正直なところ、誰しもがこの事故から目を背けたくなる気持ちがあると思います。

今回は2005年4月25日に発生したJR西日本・福知山線脱線事故について、元運転士の視点から本音でお伝えします。

「まずは、この事故で亡くなられた方々に、心よりご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお見舞い申し上げます。」

ファルコ

ファルコ

1970年生まれ。鉄道会社に入社し、駅員(1年)→車掌(3年)→運転士(30年)に従事。鉄道ファンだけでなく普段から電車を利用するすべての方が分かるような記事作りを心掛けています。

この記事の目次

JR西日本・福知山線脱線事故の概要

2005年4月25日午前9時18分、5418列車(7両編成)が本来70km/hで通過すべきカーブに、116km/hで進入。遠心力によって脱線し、1両目から4両目が線路を逸脱しました。運転士1名を含む107名が亡くなり、562名が負傷するという、戦後最悪クラスの事故となりました。

国土交通省の鉄道事故調査委員会(当時)の報告書によると、運転していた高見運転士(当時23歳)は事故直前の駅でオーバーランを起こし、ミスを少なめに報告するよう車掌に依頼。その車掌が無線でどのような報告をするかに気を取られて、ブレーキ操作が遅れたことが直接の原因とされています。

なぜ脱線は起きたのか?元運転士が本音で解説

脱線事故には複合的な原因があります。ここではまず「なぜ運転士は車掌の無線がそこまで気になったのか」を、順を追って解説していきます。

日勤教育が運転士に与えたプレッシャー

高見運転士は過去に3度のミスを起こし、乗務から外される「日勤教育」を経験していました。

最初の日勤教育では13日間にわたって乗務を外され、19通もの反省文を書かされたとされています。その後の日勤教育では「次にミスをしたら運転士を辞める」という誓約書まで書かされたといいます。

私が思うのは、問題は教育の内容だけではなかったということです。

13日間、乗務から外されて職場にいる間、周囲の運転士たちからの目線がどれほどつらかったか。恥ずかしい、情けないという感情が、反省文よりもはるかに重くのしかかっていたのではないかと想像します。

私自身、日勤教育こそありませんでしたが、オーバーランを起こしたとき、職場の見える場所で上司に事情を聞かれたり、「オーバーラン発生!」と職場に掲示されたりして、つらかったのを覚えています。

日勤教育をされていない私でもつらかったのですから、日勤教育まで受けた彼が「もう二度とあんな思いはしたくない」と強く思っていたことは、想像に難くありません。

▶ 現在の日勤教育の内容とは?

なぜ過少報告を頼んだのか?運転士の心理

脱線の約3分前、伊丹駅で72mのオーバーランを起こしていました。高見運転士は車掌に「まけてくれへんか」と、実際より少なく報告するよう依頼しています。

オーバーランが発生した場合、基本的に指令所への報告が必要であり、その無線のやりとりは運転士にも聞こえます。

車掌は「およそ8m行き過ぎ」と過少報告しており、この無線のやりとりが続いている最中に脱線事故は起きてしまいました。

私の見立てでは、このとき高見運転士の意識はほぼ無線に向いていたと思います。走っている場所への注意が薄れ、前方のカーブの存在すら頭から抜けていたのではないでしょうか。

「また日勤教育になる」「誓約書まで書いたから運転士人生が終わるかもしれない」という恐怖で頭がいっぱいになっていた。カーブに気づいたときにはもう手遅れだった、というのが私の推測です。

事故前から続いていたミスと焦りの連鎖

オーバーランより前、回送列車の運転中にも重大なミスを起こしていました。ポイント制限を約25km/hオーバーし、保安装置のATSが作動して非常ブレーキで停車したのです。

ATSで非常停車した場合は指令所への報告と、指令の指示によるATS復帰が必須です。しかし高見運転士はそれを怠り、独断でATSを復帰させて運転を再開していました。

これは運転士として絶対にやってはいけない行為です。発覚すれば即座に乗務停止、最悪の場合は運転士以外の仕事へ異動となります。

この時点ですでに「バレたらすべて終わる」という極度のプレッシャーを抱えたまま、彼は運転を続けていたことになります。

運転士に安全意識の問題はなかったのか

日勤教育が大きな背景にあったことは間違いありません。ただ、それとは別に、ATSを独断で復帰させるという行為は、安全に対する意識の根本的な欠如を示していると言わざるを得ません。

どれほど追い詰められていても、やってはいけないことがある。それは運転士になる時から繰り返し叩き込まれることです。

そしてその後もミスを引きずり、悪循環を繰り返してしまいます。

私は運転士を指導する立場を経験したことがあります。そのときに最も強く伝えていたのは、「ミスや非常事態が起きたとき、いかに自分のペースを取り戻すか」も運転士の大きな仕事だということです。

通常運転は当たり前。本当の意味での「一人前」は、異常時にこそ問われると思っています。

ATS-P未整備の問題

▶ ATS-Pについての詳しい解説はこちら

他の主要鉄道会社と比較して、JR西日本のATS-P整備は遅れていたとされています。ATS-Pがあれば、カーブ手前で自動的に速度が落とされ、事故には至らなかった可能性が高い。

私自身も、カーブへの認識が遅れたり、無線などで意識が逸れたりして、ATS-Pのブレーキが作動した経験が何度かあります。同じような経験を持つ運転士は、周囲にも多くいました。

人間はミスをする生き物です。安全を人の注意力だけに委ねることには限界があります。

JR西日本のATS-P整備が遅れた背景には、阪神・淡路大震災での被害や山陽新幹線のコンクリート崩落問題などによる多大な支出があったとも言われています。

元運転士として感じる“本当の問題点”

運転士の立場から見れば、無線のやりとりに意識を取られてしまう感覚はよくわかります。だからこそ、あのような急カーブだけでも先にATS-Pを整備できなかったのか、と今でも疑問に思います。

日勤教育については、内容にこそ問題があったとしても、制度そのものは必要だと考えています。ミスを繰り返せば、いつかお客様を傷つけることになる。原因と対策を管理者と一緒に考え、次に生かすことは大切なことです。

ただ、日勤教育を受けている間の精神的なつらさは相当なものです。だからこそ、職場全体でフォローする文化が不可欠だと思います。

私がいた職場では、ミスをした運転士に声をかけたり、飲みに誘って励ましたりしていました。「みんなミスをする、自分ごとだ」という意識を職場全体で共有することが、理想の安全文化だと思っています。

結論として、あの事故の最大の原因は、急カーブの安全を運転士の注意力だけに依存していたことです。日勤教育だけが悪者にされがちですが、教育の方向性が間違っていただけであって、指導そのものをなくすべきではない。それが私の考えです。

事故後に感じたJR西日本の変化と課題

事故から数年後、JR西日本の社員たちと話をする機会がありました。

「定時運行・ミスゼロ」より「安全最優先」へと、職場の風土が変わっていたことは感じました。しかし一方で、「ミスを指摘すること自体が悪」という空気になりすぎているとも感じました。

運転士にはそれぞれ弱点があります。ミスが起きたとき、原因と対策を考え、職場全体で共有して「自分ごと」として捉えることが、安全レベルの底上げにつながります。小さなミスを追及するのではなく、全体の安全向上に生かせる雰囲気を作ってほしい、というのが率直な思いでした。

実はもっと大惨事になっていた可能性がある

電車が脱線するなど事故が発生した際には、まず「防護無線」を発報して二重事故を防ぎます。

▶ 防護無線についての解説を見る

しかし脱線の衝撃による停電の影響で、この操作が正常にできませんでした。

そのとき、対向線路を走る特急列車が現場に近づいていました。たまたま事故を目撃した近隣住民が踏切の非常ボタンを押したことで赤信号が点灯し、特急は停車できました。もしあの住民がいなければ、脱線現場に特急が突っ込んでいた可能性があります。被害はさらに拡大していたでしょう。

その後各鉄道会社には「防護無線自動発報装置」が導入されました。大きな衝撃を検知すると、自動的に防護無線が発報される仕組みです。

あとがき

今回は、福知山線脱線事故について、元運転士の立場から率直にお伝えしました。

この事故が、鉄道業界全体の安全意識を根本から見直す大きな転機となったことは間違いありません。そして、その教訓は現在の安全対策にも確実に活かされています。

一方で、発生から21年が経過し、現場には事故を直接知らない社員が増えているのも事実です。

だからこそ、この事故を風化させることなく語り継ぎ、一人ひとりが何をすべきか、どう行動すべきかを考え続けていく必要があります。